動作の速い横浜 ランチ
S新聞(二00八年六月二五日付)はI銀行の不正融資事件に絡み、金沢地検の取り調べを受けたN顧問(当時)の供述調書をもとに、SがI銀行から増資の協力を懇願された場面をこう描いてみせた。
I銀行頭取のTは、N社長のSに泣きついたのだ。
TとSが初めて会ったのは、一九九九年二月。
金沢の同行本局であった。
Sは教育ローン債権六00億円を保有していると自慢し、お近づきのしるしにと、二0億円の預金をした。
喉から手が出るほど現金(キャッシュ)に飢えていたTには、地獄で出会った仏の心境だったかもしれない。
実は、SはSで、使い勝手のいい地方銀行を捜していたのだ。
「駅前留学」のコマーシャルで有名になったNは受講生が増えたが、彼らの大半は授業料を教育ローンを組んで払う。
事業を急拡大していたSは、事業資金(現金)はいくらあっても足りなかった。
Nの貯金箱にするために、経営不振の弱小銀行を物色していたのである。
最初に声をかけたのがN中央銀行だったが、N中銀が破綻したためI銀行に乗り換えた。
「融資してくれるなら、増資を引き受けよう」。
Sの鶴の一声で、I銀行の増資に協力することが決まった。
二000年三月の増資に一0億円、0一年三月の増資のときには五0億円分を引き受けた。
しかし、I銀行の増資計画はいまだに、七0億円分がショートしたままだった。
こうした事情があって、頭取のTと専務のKは、Sに泣きついたのだ。
子会社に増資資金を直接融資できないことを知り、TはNに対してマジックを提案した。
迂回融資による見せ金増資である。
I銀行がN関連の金融会社に融資して、そこからI銀行の関連会社に貸し付ける。
I銀行の関連会社は、その金を増資資金に充当する。
これなら、形式上、I銀行が直で関連子会社に融資したことにはならない。
増資を無事に完了して、金融庁の監視の目がゆるんだところで、I銀行が関連会社に融資して、関連会社は借りた金をN側に利子をつけて返済するというシナリオができ上がった。
もとをただせばI銀行の金だが、NはI銀行の関連会社四社に六五億円を融資した。
Nは、この融資で約二億円の金利を稼いだという。
銀行の関連会社四社は手持ち資金と合わせてI銀行の第三者割当増資七0億三000万円を引き受けた。
引き受けたのはIリース、H実業、Nビルディング、H総合物流サービスの四社である。
融資を受けた金を増資に充当する行為は、実体を伴わない増資であることから、「見せ金増資」といわれ、会社法などで禁止されている。
Nを迂回した見せ金増資で、I銀行の自己資本比率は五・六七%に上昇。
からくも、危機を乗り切ったかに見えた。
しかし、金融庁の検査は、Tのさまざまな工作を吹き飛ばした。
I銀行に検査結果が通知されたのは二00一年五月二一目。
「前年の二000年九月末時点で、三二一億円の債務超過」と判定されたのである。
金融庁の検査結果を踏まえて、I銀行は五月二五日、二00一年三月期の決算を発表した。
不良債権は一三六三億円に膨張。
多額の不良債権を処理し、三期連続の経常赤字となった。
頭取のTは引責辞任、専務のKが頭取に昇格した。
二回目の金融庁特別検査は同年一0月下旬に始まった。
このときの厳しい資産査定で、I銀行は、さらに不良債権が上積みされた。
その結果、第三者割当増資のカンフル剤も無駄になり、二00一年九月中間期決算で二二四億円の債務超過、自己資本比率はマイナス六・二七%となった。
I銀行は二00一年の年の瀬が迫った一二月二八日、金融庁に預金保険法に基づく破綻を申請した。
I銀行の破綻はNを巻き込んだ。
I銀行は二000年三月から0一年九月にかけて、Nの複数の関連会社に計二五四億円を融資した。
この資金を使って、二000年三月の増資で一0億円、0一年三月の増資で五0億円を直接、引き受けたほか、同年四月の追加増資ではI銀行の関連会社に六五億円を融資し、これが増資の資金に回ったことは既に述べた通りだ。
合計、二一五億円の増資に、全面協力する見返りに、は、それに倍する二五四億円の融資を得た。
Nは、I銀行の増資の引き受け手になる見返りに、巨額の融資を引き出したのである。
I銀行の関連会社四社への融資は、短期間のうちに返済することになっていた。
しかし、金融庁検査で引導を渡されたTが失脚したため、I銀行の肩代わりが行われず、結局、六五億円はNには戻ってこなかった。
「このままでは株主総会が開けない」。
パニック状態になったSは、自ら取り立てに金沢に向かう騒ぎとなった。
Sは関連会社が保有しているI銀行株式を差し押さえた。
これでNは一二五億円の増資を、まるまる、引き受けたのと同じことになった。
I銀行の経営は破綻。
I銀行の株券は紙くずになった。
Nの破綻I銀行が、見せ金増資の舞台としたNの関連会社への融資二五四億円は、不良債権とみなされ、整理回収機構へ売却されることが確実となった。
慌てたNは、他行から緊急融資を仰いで、二00三年二月ごろまでに総額二五四億円のほとんどを返済したという。
NのSが経営不振銀行を物色していたのは、増資を引き受ける見返りに、巨額融資を引き出すのが狙いだった、と書いた。
I銀行では二五四億円の融資を得ることに成功したが、不正な取引の代償は大きかった。
I銀行の見せ金増資で一二五億円の大穴が開いた。
これがNが経営破綻する起点となった。
Nは二00七年一0月二六日、大阪地裁に会社更生法を申請した。
Sは前日付で代表取締役を解任された。
Nの保全管理人は、Sが会社の経費で、月家賃二七0万円の豪華マンションに暮らすなど会社を私物化していたと批判した。
二00八年六月二四日、従業員互助組織の積立金約三億二000万円を受講生への返還金に流用していたとして、Sは業務上横領容疑で逮捕された。
S側は「倒産を免れる目的で、積立金を会社のために使った」として執行猶予付きの判決を求めたが、0九年八月二六日、東京地裁はSに三年六月の実刑判決を言い渡した。
S側は量刑が重いとして控訴した。
Sは控訴中の二00九年九月、Y組系暴力団組員数人によって都内のホテルに監禁され、捜査員がホテルに踏み込みSを救出するという事件もあった。
Nの事業は、名古屋市の学習塾の運営会社、Jエデュケーションが承継し、Nの名前で、主要都市で四四八教室が聞かれている。
受講生は七万三七00人で、破綻時の三0万人の二割にとどまる。
Jエデュケーションは、二0一0年四月に破産を申し立てたJから、J英会話事業を譲渡された。
ジー社は、NとJの英会話教室の大手二社を傘下に収めたことになる。
廃櫨マニアたちの聞で人気になっているのが新潟R村である。
N中銀が破綻後、ハバロフスク地方政府などから物資の支援を受けながら、細々と営業を続けてきたが、業績回復の見通しが立たず、二00四年四月に開園した。
それ以降は廃櫨と化した。
廃櫨プームがやって来た。
炭鉱で栄えた長崎県の軍艦島が観光スポットになり、ネットに廃櫨関連のサイトが多数聞かれている。
廃櫨プームの影響で、R村が建った。
若者たちが無断で進入、ケータイで撮影された荒れ果てた施設がネットに掲載され人気を集めている。
二00九年九月には施設内のホテル跡が不審火で全焼する事件も起きた。
廃櫨プームのとんだ副産物である。
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